もちの聖地・一関 料理の数は日本一
世界遺産の町・平泉への玄関口としても知られている岩手県一関市には、全国的にも珍しい“もち料理”が豊富な町。
では、なぜ、そんなにも“もち料理”が豊富なのか、その理由を紐解いていきましょう。
約400年以上前、一関市は伊達政宗公で有名な伊達藩が治めていました。
当時伊達藩は、開墾・新田開拓に力を入れており、毎月1日と15日はもちをついて神に供え平安無事と豊作を祈り、邪気払いのため「赤いもの = 小豆」食べる風習がありました。
しかし、米づくりをしていた当時の農民は、年貢を納めるだけで精一杯のため、自分たちがもちを食べるゆとりはありませんでした。
そこで考え出されたのが、くず米(砕けた米や未成熟の米など)を粉にして練り、雑穀などと混ぜ合わせた「しいな餅」でした。
またくず米で作るもちを美味しく食べる工夫として、沼地に生息していたエビやどじょう、山で採れたごぼうやじゅうね(えごま)などを使用、これが郷土食として今に伝わっています。
明治・大正時代あたりまでは、食材に限りがあったため、20〜30種類にとどまっていたもち料理ですが、もちが大好きなこの地域の人々によって新しい“もち料理”がうまれています。
その数なんと300種類以上!?
現在は、そのうち200種類ほどの“もち料理”がデータベース化され、レシピが公開されています。
■もちデータベース■
https://www.ichitabi.jp/feature/special/mochi/images/mochi.pdf
また、一関市では『もちの聖地』と呼ばれるにふさわしい、もちのイベントが多数あり、その中でも「全国わんこもち大会」は、“わんこそば”ならぬ“わんこもち”を5分で何個食べられるか競うもの。
過去には5分で100杯完食する強者もおりました!
ほかにも、たくさんの“もち料理”が集まる「全国もちフェスティバル」というイベントなどもあり、今も昔ももちが大好きな地域が、岩手県一関市なのです。
参考:一関もち食推進会議発行 もちのまち
一関もち食推進会議 佐藤育郎氏発行 一関地方もち食文化